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2011年6月7日火曜日

ブログを始めました。宜しくお願いします。

ブログを始めました。宜しくお願いします。2011・6・7

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  1. 題 : 幸せを感じた 話 

       町をゆっくり
            考えながら
                    歩いていると、
         どこからともなく
                     可愛い幼い子の声。

         「あーぅあーぅあーぅ」。
                         リズムもある。
         ゆっくりした、
              可愛いその声は
                      近くに聞こえている。
                         そして、
                              近づいて来ている。
      
        幸せな図は その後に見られた。

        すれ違った男の人の
                    背に
                       可愛い声の主は居た。

        小さい幼子は
              お父さんの背に
                       すっかり隠れていた。

        お父さんの背で
               背負い帯の中で
                   大の字になり、
                         顔を上に向け、
        お父さんの
             ゆったりした歩みの
                         リズムと、
                 背負い帯の
                      クッションが
          幼子に
              心地よいリズムと
                         揺れを与え、
          父の背に居る
                   安心感と共に、
             この可愛い
                  心地よい声は
                          発せられていた。

        そして、
           その声は
               父へ語り掛ける様にも聞こえ、
                    父と子の会話・
                         心の通い合い
                                と共に
               声は
                    遠ざかって行った。

           幼子の
              心からの満ち足りた声の
                               余韻が残った。

         行き着いた
               先で、
                 その事を話すと、
                       ひと頻り
                           話が持ち上がり、

             みんなで幸せな
                       気持ちになった。

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  2. ☆題 : 《毎晩・・母にぬくめられていた石・・・
                   思わず涙した記事・・・》:

     どんな薬より母の「手当て」の効く時期が、わが娘たちにも
    あった。
     手当とは文字通り手を当てるだけのこと。
     ただ、はああっと息であたためてから「治る治る」とおまじ
    ないをして当てるところがミソであった。
     夜中にせき込んだときには、抱き寄せて胸と背中を挟んで擦
    った。
     体温を移すようにゆっくりと。
     静かに呪文を唱えながら。
     娘の小さな体がぽおーっつとあたたまっていく。
     私も少しずつ汗ばんでいく。
     母娘の体温が同じになるころ、娘は再びくったりと寝入って
    いる。
     朝まで様子をみて、寝起きが悪いようなら医者へ。
     だが、そのままけろりとしてしまうこともまた多かった。
        (中略)。

     『 神棚に ははの抱寝(だきね)の 小石凍(い)つ 
                   小原啄葉(たくよう) 』。

     この句は句集「不動」所収。
     「戦地の兄の姿に似た石を川原から拾つてきて、母は毎晩抱
    寝してゐた」と添え書きがある。

     毎晩母にぬくめられていた石。
     兄の姿に似ていても石なのだから、一晩中ぬくもらなかった
    日もあったろう。
     石を懐に母は何を思っていたか。
     その石が、母亡き今もこの世にあって、氷より冷えているの
    だ。

     「不動」は作者の第8句集である。
     あとがきに「戦争体験の作品も若干加えた。・・・、事実は
    事実として百年先のためにも遺しておきたいと思った」とある
    ように、
     「初夢や自決の弾をひとりづつ」をはじめ、思わず姿勢を正
    す句があまた収められている。

     母の祈りは届かず、兄は遺骨となって還った。

     「かぶさりて母が骨抱く稲埃(いなぼこり)」
     遺骨が石よりあたたかかったということはあるまい。

     「兄嫁がまた藁塚へ泣きに行く」
     えにしで結ばれた人が血縁以外にいたのは、幸いであったと
    も言えようが。

     「咳止めと母に抱き締められしこと」
     生身の子を抱き締めた母と、抱き締められた子。

     いにしえから繰り返されてきた母と子の至福のときが、この
    母にあったことをなによりと思いたい。
                      俳人・高田正子氏 
                       (日経2011・1・22)

       (「静かに呪文を唱えながら」
       ・・娘の体温を感じながら、
         小さくせき込む娘の動きまでも、
         敏感に思いやりの心で感じながら、
         ただただ母は
         娘の平癒を祈っていたのだろう。

       ・・静かな夜のしじまの中を
         母の体温以外の
       ・・心からの温かさも
       ・・娘に伝わって行った
                 のだろう。

        また、その様にして
         成人した子が
       ・・兵となって
         寒い中にいると
         心を痛めた母は
       ・・何も子に
         起こらないようにと
             祈った。
             祈り続けた。

         かつての時の中に「今は亡き母」も居た。
         母の祈りは通じず、
         胸で温めてきた子は
         兵として 逝ってしまった )。

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  3. 春になると、小鳥たちの美味しい餌が野に満ちる というお話

    シジュウカラさんへ
     この間、
         参加させていただきました。
     野鳥に ご興味はおありですか?

     私、
        野鳥に、冬、餌をあげてました。
     あまり
        餌をあげてはいけないと
                  聞いていましたが、
     冬は、
        私は 定時刻にあげていたのですが、
               私の来るのを待っていてくれて、
                    来たら来たで鳥たちは鳴き
        (おーい、みんな!
              餌をくれる人が来たよー
                       ・・・なんて聞こえ)、
        あげれば、あげたで
             (おーい、みんな!食べる物をくれたよー
                        ・・・なんて聞こえます)。
        可愛いものです。
             (また、冬は、
                    厳しい自然、
                          餌が少ないのですか?)

     春になったら、
           野に
             美味しいものが満ち溢れたのか、
                         私の餌は
                         あてにされなくなりました。

     私は、
        それはそれで
              幸せな
                 満足な
                      気持ちになりました。
     あーっ。
         野に
            貴方たちの餌が満ちたのですねー
                        ・・・という気持に
                                なりました。

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